名古屋城陣屋の能舞台

堀秀治陣屋資料
佐賀県の知り合いの方から送っていただいた「名護屋城跡並びに陣跡 史跡探訪会」の資料を眺めてニヤニヤとしております。

名護屋城は豊臣秀吉が全国統一の後に大陸進出を狙った際、前線基地として建設された「天下の大城」であり、本城だけではなく、周囲には全国の大名たちの陣屋も営まれたのですが。
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柏木ゆげひ | 能・狂言一般 | 23:00 | - | - | - | - |

能《善界》の牛車

明後日の「座・WAKAZO」公演の、能《善界》(観世流での表記。他流は《是界/是我意》)で使用される作り物「車」です。
能《善界》の作り物

「車」といっても当然自動車ではなく、牛車です。簡略化されていますが、屋根に庇、物見窓、車輪、轅(長柄)もあります。さすがに牛はいませんが…。

能の題名である《善界》は、中国から日本に来襲する大天狗(シテ)の名前ですが、この善界坊来襲に対して、朝廷が飯室僧正(ワキ)を召し出して、祈祷で退散させよと命じます。その時に僧正はこの「車」に乗って登場するんですね。正に「参内」の場面です。

「座・WAKAZO」
5/24(金)19時〜 於・山本能楽堂(大阪市中央区徳井町1-3-6)
★観世流能《善界》今村哲朗ほか
一般前売4000円(当日4500円)、前売ペア券7000円、学生2000円
詳細は→ http://funabenkei.daa.jp/?p=5834
funabenkei | 能・狂言一般 | 08:20 | - | - | - | - |

復曲能《泣不動》の上演

本日、京都の浄土宗総本山・清浄華院で、ゆかりの能《泣不動》が復曲上演されましたので、拝見して参りました。経緯などは、スポーツニッポンですが、詳しいのでリンク張っておきます。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/05/11/kiji/K20130511005785410.html

書いてある通り、《泣不動》は、病を患った師を助けるため自分の命を差し出す僧侶に、不動明王が涙を流して感動し身代わりになる物語。

本来、三井寺の常住院という場所の話ですが、いつのころから清浄華院にその泣不動とされる絵仏が伝えられていました。
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funabenkei | 能・狂言一般 | 23:48 | - | - | - | - |

「あれを見よ不思議やな」

 能〈田村〉は平安時代の征夷大将軍・坂上田村麻呂による鈴鹿山の鬼神退治を描いた作品です。ですが、謡曲本文を読む限り、田村麻呂よりもむしろ、彼が信仰する千手観音が活躍しています。以下の通り。

「味方の軍兵の旗の上に。千手観音の。光を放って虚空に飛行し。千の御手ごとに。大悲の弓には智恵の矢をはげて。一度放せば千の矢先。雨霰と降りかかって。鬼神の上に乱れ落つれば。ことごとく矢先にかかって鬼神は残らず討たれにけり」

 しかし、この場面、弓矢は両手を使う武器なので、「いくら千手観音でも飛ぶ矢は五百本ちゃうん?」というのは、謡を稽古する人の中では割とよくある〈田村〉へのツッコミです。

 これ、とっても古典的な話だったらしいです。偶然なのですが、こんな江戸時代の川柳を見つけました。

「観音の千の矢先に五百うそ」

 「五百うそ」と言い切っているあたりが、良いですね(笑) これは最近手に入れた日本名著全集『謡曲三百五十番集』(昭和3年)に挟まれていた月報『書物愛』に、擔板漢という筆名で書かれた「謠曲を取入れた川柳」と題した小文に載っていたものです。

 ネットで検索してみると、他にも似た句が見つかりました。

「大悲の矢五百本ほど掛値なり」

 掛値は値切られることを予想して、最初から高めに値段を設定すること、転じてここでは物事を大げさにいう意味です。

 ちょっと調べると、川柳には謡曲が元ネタになっているものが多いことが分かりました。江戸時代当時の基本教養だったから、ですね。

 謡曲ネタの川柳を紹介しているサイトもありました。URLを載せさせていただきます。

http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505/Nohpage/NohSenryu/NohSenryuPage.html

 こういうのを知ると、風流で楽しいなぁと思います。

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柏木ゆげひ | 能・狂言一般 | 08:03 | - | - | - | - |

最古の能楽映像発見

 ネットニュースはいつ消えるか不安なので、保存としてコピーさせていただきます。コピー元はhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110804-00000597-san-ent

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現存最古の能楽映像と確認 1912年に撮影された5本
産経新聞 8月4日(木)18時38分配信

 早稲田大学演劇博物館は4日、大正元(1912)年に撮影された現存最古の能楽映像を確認したと発表した。仏銀行家のアルベール・カーン(1860〜1940年)が日本に派遣した撮影隊によるもので、児玉竜一早大教授は「100年前の舞台を伝える、能楽史上貴重な映像」と話している。

 確認されたのは、パリ近郊のアルベール・カーン博物館が所蔵する「橋弁慶」「小鍛冶(こかじ)」など5本。白黒の無声映像で、演目の主要部分が各2〜3分間収録されている。京都・仏光寺の能舞台で10月30日に撮影され、京都能楽界の重鎮だった金剛謹之輔(こんごうきんのすけ)(1854〜1923年)の出演と特定された。これまでは、法政大学能楽研究所所蔵の「名家の面影」(昭和7年)が最古とされていた。

 来年1月に早大で開かれる国際シンポジウムで公開される予定。

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 http://www.waseda.jp/jp/news11/110805_no.htmlに早稲田大学のプレスリリースが載っていて、新聞記事よりもう少し具体的なことが書いてありますので、こちらもコピー。

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1912(大正元)年に京都で撮影された現存最古の能楽映像
演劇博物館GCOE日本演劇研究グループの調査で判明

2011/08/05

 フランスのアルベール・カーン博物館に所蔵されていた能楽の映像が、大富豪アルベール・カーン(Albert Kahn, 1860-1940)が日本に派遣した撮影隊によって1912(大正元)年10月30日、京都・佛光寺の能舞台で撮影されたものであり、現存最古の能楽映像であることが早稲田大学坪内博士記念演劇博物館(館長・竹本幹夫)のグローバルCOE日本演劇研究コースの研究グループ(児玉竜一教授、原田眞澄研究助手ほか)の調査で判明しました。

 これまでのところ、最も古い能の映像は、法政大学能楽研究所に収蔵されている1932(昭和7)年以後のフィルム「名家の面影」とされていました。調査では佛光寺に残されていた日誌や能舞台の当時の様子を調べるとともに、写真と今回の映像を照合するなどして具体的な日時を特定、さらに20年古い映像であることを明らかにしました。近代能楽史史上極めて重要な資料であるとともに、初期映画研究においても第一級の資料となります。

 能楽のフィルムには、幕末から明治、大正にかけての京都能楽界の重鎮、金剛謹之輔師による「小鍛治」、「隅田川」、「羽衣」、「望月」、「橋弁慶」の主要な部分が、それぞれ2〜3分程度収録。「切れのある鮮やかな舞と、朗々たる謡を特徴とする芸風であった」という口伝通りに演じる金剛謹之輔師の姿が映されています。ワキ方の出演者については引き続き調査を行っています。

 また、アルベール・カーン博物館には同じく1912年に撮影されたと見られる京舞「鉄輪」、「三国一」、「わしの在所」のフィルムも所蔵されていることがわかり、京都祇園町の芸妓・吉川一子や舞妓・松本とめらによる京舞の映像が同様に2〜3分程度収録されております。これらの京舞のフィルムも、舞踊研究において非常に貴重な資料といえます。

 これらのフィルムは、能楽研究および舞踊研究、映画研究など多方面の研究に資すること大である重要な映像資料になります。現在、各専門家によりさらなる調査・研究を進めており、2012年1月27日〜29日に本学で行われるグローバルCOE国際シンポジウム「Acting」での公開を予定しております。国際シンポジウムの報告会では、映像を見ながら現段階での研究成果を報告する予定です。

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 記事の最後には早稲田大学でのシンポジウムで公開とありますが、能楽学会の関西能楽フォーラムでも見られる機会が訪れそうです。「これまでは」「最古とされていた」「名家の面影」も同時公開です(なんて書くと、まるで映画ですね)。

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2011年度関西能楽フォーラム「初期映像で見る能」

2011年12月10日(土)13時半〜16時半
「昭和初年の【名家の面影】を見る」
恵阪悟(大阪学院大学非常勤講師)

2012年3月4日(日)13時半〜16時半
「大正初年の金剛謹之輔の片影」
金剛永謹(シテ方金剛流)
横山太郎(跡見学園女子大学准教授)
中尾薫(大阪大学専任講師)

会場:京都女子大学J校舎2階J202教室
参加費:500円(能楽学会員は無料)
事前申込不要
問合先:神戸女子大学古典芸能研究センター 078-231-1061

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柏木ゆげひ | 能・狂言一般 | 20:47 | - | - | - | - |

『日本人名大辞典』と『国書人名事典』

 さて、最近の私は、兵庫県三木市に10近くも神社能舞台が現存することを知って、調べて回っているのですが、とある神社で、「福王流始祖は三木出身で、福王家が通ったルート上に能舞台がある」という話を聞いたことがあって、初期福王家にも興味を持って調べています。

 先日少し時間ができたので、大阪市立中央図書館にて人名事典をいろいろ引いてみました。さすが大阪市立中央図書館。人名事典だけでひとつ棚があって、調べ甲斐がありました。どの人物がどの人名事典に載っているかを掲載した本などもあって、まずはそれで下調べ。

 福王姓の人物を最も多く収録しているのが講談社『日本人名大辞典』(2001年)。江戸時代の福王家歴代が載っています。初世の福王神右衛門盛忠についてはこんな感じです。

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福王盛忠 ふくおう-もりただ
1521−1606。戦国-織豊時代の能役者ワキ方。大永元年生まれ。福王流初代。もとは播磨(兵庫県)三木郡福王七社の神職。観世座のワキ方観世小次郎元頼らにまなぶ。織田信長にめしだされて観世座のワキ方になったといわれる。以後代々座付きの地位をたもった。慶長11年7月15日死去。86歳。播磨出身。通称は神右衛門。号は遅斎,知(智)斎。

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 今回私が今日引いたのは福王家関係者の項目だけで、それだけで判断するのは烏滸がましいとは思いますが、それでも印象を述べると、講談社『日本人名大辞典』は収録人物が約6万5千人と多くて読みやすいのですが、そこで完結して次に続かないという感じがしました。

 例えば「福王七社」という言葉。今のところ、私が集めた福王家の資料には「福王七社」という名前は登場しないのです。三木市内にも福王という地名は見当たりません。今回『日本人名大辞典』を引くことで、典拠となる文献が示されていないか期待したのですが、そのあたりが示されていません。

 もう一つ言うならば、「織田信長に召し出された」という表記。これは福王家側の伝承に基づく「享保六年書上」や「素謡世々之跡」といった文献にはありますが、それは祖先や流儀の顕彰という意味合いが強い気がします。やはり召し出した信長側の史料が示せない限り、事典としては載せるべきではないと思うのです。せめて「信長に召し出された、という」という推定ぐらいで。信長が梅若を贔屓にしていたのは『信長公記』などに載っていますが、福王との関わりがあったかは今のところ、分かりません。

 そういう記載への不信感を感じた『日本人名大辞典』に対して、私が感動したのが岩波書店『国書人名辞典』。これは『国書総目録』に収められた書物の著編者の伝記を集めた本です。こちらの収録人数は約3万人。『日本人名大事典』の半分以下ですが、元々の作られた経緯による性格もあるとは思いますが、掲載人物の著作と参考文献がきっちり載っていて、信頼性が高いです。まあ、著書が残ってる人物だけなので、福王歴代では二人しか載ってませんでしたけれどね。

 しかし、福王家歴代のほかに「福王是翁」という人物が載っていて気になりました。この人物は能役者ではなくて心学者なんですが、『播州三木孝子行状伝』という著書があるんです。つまり三木の福王家! 四代盛厚の没後、能楽ワキ方の福王家は観世家からの養子が入り三木から離れ江戸に移ったらしいのですが、それとは別の福王家が三木に続いていたのだと想像できます。

 なんだか新しく分かったこともでてきて、楽しくなってきました。

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柏木ゆげひ | 能・狂言一般 | 22:39 | - | - | - | - |

太夫の勤める曲にあらず?

 能〈土蜘蛛〉についての解説文を書く事になり、とりあえず、手元にあった権藤芳一先生の『能楽手帖』(駸々堂、1979年)を開いてみました。

 何年も前に、ある囃子方の人が「〈土蜘蛛〉は、太夫の勤める曲にあらず、やで」なんて仰っていましたが、あまり能として高級な演目だとはされていません。

 しかしながら、単にショー的で派手と片付けられるだけの単純な曲ではなく、なかなか魅力的な演目だと思います。最初に登場する胡蝶の、どこか怪しい魅力もありますし、単なる蜘蛛の怪物としてみるのと、古代に大和朝廷に反抗した豪族・土蜘蛛の末裔としてみるのと、二重写しで見えてくるのはなかなか面白いです。なんといっても、ワクワクして見ることができるのは、舞台芸能として大切な部分です。

 ところで、先にも書いた「太夫の勤める曲にはあらず」という言葉。これは権藤先生によると、元の出典は江戸時代初期の紀州藩の能役者・徳田隣忠(1679-?)の『隣忠秘抄』なのだそうです。へぇ〜。

 徳田隣忠は『隣忠秘抄』のほかに、江戸時代初期には演じられなくなっていた〈石橋〉の復曲のことを記した『御世話筋秘曲』や、見聞きした話をまとめた『隣忠見聞録』とかの著作を残しているらしく、能楽史を見る上では興味深い人物のようです。

 とりあえず手に入る本はどんな本でも丁寧に読んでおくべきですね。『能楽手帖』のような入門書でも、いろいろ面白いことが書いてあるものです。

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柏木ゆげひ | 能・狂言一般 | 01:51 | - | - | - | - |

謎の「左」「右」(解決しました)

 さて、時間が空けば、前も書いた野々村戒三『能樂古今記』(春陽堂、昭和6年)を辞書を引き引き読み続けているのですが、「右」「左」の字の読み方が分からず、戸惑っています。

 最初に出てきたのが102頁。「観世四代史考」と題した観阿弥・世阿弥・十郎元雅・音阿弥の、観世座最初期の大夫4人の事跡についての文章なんですが。

 観世三世大夫・音阿弥(世阿弥の長男・元雅は歴代に数えない)について、大夫としての活動は広く知られているものの、作能や文筆についての事跡が見当たらないことについて、音阿弥の著書とされる書物が偽書であるとする吉田東吾『禅竹集』(大正3年)の文を引用した後、

「以上の言に由ると、左も右も音阿の遺書と稱せらるゝものに『花傳髄腦記』と『實鑑抄』との二本あるわけであるから」

云々と書いてありますが、この「左も右も」はどう読むんでしょう? 漢和辞典引いても出ていませんし、この場合は無理に「ひだりもみぎも」と読めてしまいそうですが、それだと意味がはっきりしません。

 仕方ないので放っておいて、分からないまま続きを続きを読んでいたら出てきました、謎の左右シリーズ第二段(笑) 安土桃山時代に活躍した金春流の素人の能の名手・下間少進について、『近代四座役者目録』の文章を引用したあと

「流儀の相違から來る、多少の僻目もあるらしく思はれるが、左も右く、よほで器用な才人で、色々な工夫もし」

云々と。この「左も右く」は「ひだりもみぎく」とは読みにくいので、なんらかの慣用表記なのだと思われるのですが、全く読めません…。

 漢和辞典で「左右」と引くと、日本独自の意味として「かれこれ」という意味があるので、これかな?とも思うのですが「○も○も」「○も○く」の文字に合わないので、決定打に欠けます。

 無視しても文章の大意が読み取れないわけではないのですが、気になります。

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 それにしても電子辞書で「左右」を引くのに「さいう」と入力してしまった私(笑) 一昨日に〈羽衣〉を謡ったためでしょう。「左右左、左右颯々の」という言葉を能の謡では「さいうさ、さいうさッさンの」と発音するからって。(※ほかの流派が今一つ知りませんが、私が習っている観世流ではそうなっております)

 私のドアホ!

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 サイト「能楽イラスト+++」を運営してらしゃるkyoranさんが、内田魯庵の著作にも「左に右く」という似た表現があることを見つけられ、そこから「左も右も」が「ともかくも」、「左も右く」が「ともかく」と読むのではないかとお教えくださいました。全くその通りだと思います。これで引っかかっていた部分が分かりました。ありがとうございます!

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柏木ゆげひ | 能・狂言一般 | 00:47 | - | - | - | - |

『能楽古今記』序言

 寝がけにコーヒーなんて飲むものではないですね(笑)

 目が冴えて寝られないので、先日読み終わった『近畿能楽記』(大岡山書店、1933年)と同じ野々村戒三著『能楽古今記』(春陽堂、1931年)を読んでます。こちらの方が出版が先なので、先に読むべきだったでしょうか。『近畿能楽記』の中にも「○○は能楽古今記に記したが…」といった表現もありました。

 その『能楽古今記』、最初にある序言の言葉に思わず頷きました。

「能樂の材料は、誰も知つて居る通り、古典的な物で、此の古典の解釋は、年を經るに随ひ、次第にむつかしくなつて來る。かくして、伊勢や、源氏や、平家、今昔、といつたやうな古典文學は、特殊の外蕕鮗けなければ、殆ど理解がむつかしいことになつて來る。尤もむつかしいから、やはりそれだけに研究も届いて來るわけではある。然し、能樂の鑑賞といふ點からいふと、唯だ研究して解つたといふだけでは不十分で、それに對する愛着といふものがなければならぬ。我々が、辧慶の談を聽くと、何となく餘所事でないやうな氣がするが、今の若い人たちには、恐らくさうではなかろうと思ふ。我々は、義經が出て來ると、何だか自分の周圍に居る人のやうな感じがするのであるが、能樂の鑑賞や研究には、さういつた一種の愛着といふものが必要である。所が、それが次第に薄くなつて來る。薄くなつて來た曉には、果して能樂が何ういふ風になるか、是れは疑問であらうと思ふ」

 能楽への取っ付きにくさのひとつを、的確に書いてらっしゃいますね。昭和6年時点でこう嘆いてらっしゃいますが、それから80年経った現在、この方向性でいうとますます大変なことになっているばかり。

 まず能楽の元になった話を知らない。それらの説明を入れることになるのですが、ただ説明されたたけでは「愛着」に至らないんですよね〜。ああ、難しい。

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柏木ゆげひ | 能・狂言一般 | 02:49 | - | - | - | - |

ドラマ『水戸黄門』の終了に新作能〈菊水〉を思う

 1969年から続くTBS系時代劇ドラマ『水戸黄門』が、今期で終了することが決定したそうです。

 水戸黄門と能といえば、もちろん歴史的な水戸徳川家の能という話もありますが、ドラマとしての『水戸黄門』の影響が見られる能として、昭和60年(1985)に神戸・湊川神社の大楠公(楠木正成)650年祭に作られた新作能〈菊水〉を思い起こしました。

 湊川神社は楠木正成を祀る神社で、演目名となっている「菊水」は正成の旗印であり、現在は湊川神社の神紋となっています。そのワキとして登場するのが「水戸黄門」、檜書店から出版された〈菊水〉謡本の役付にそう書かれています。

 史実として、水戸黄門こと水戸徳川家二代目藩主・光圀は『大日本史』編纂の作業中、勤皇家として正成の事績に感じることがあったようで、正成の終焉の地・湊川に「嗚呼忠臣楠子之墓」という碑を建て顕彰しました。その地が明治時代に神社とされたのが湊川神社になったというつながりがあり、光圀建立の顕彰碑は現存しています。以下にあらすじを紹介します。

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新作能〈菊水〉
 水戸黄門(ワキ)が楠木正成の誠忠に心を惹かれ、その跡を弔おうと、家臣(ワキツレ)2人を供として湊川を訪れると、老人(前シテ)に出会う。あたりの名所を尋ね正成討死のことを尋ねると、路傍の苔むす石塔を指し、これが正成の墓であり、今日がその命日だといい自分は正成ゆかりの者だと告げて消え失せる。(シテ中入、ワキもワキツレ1人を残して中入する)
 里ノ女たち(アドアイ)が正成の墓を掃除して回向していると、水戸黄門の家臣・佐々木某(残ったワキツレ)が正成のことを尋ねる。里の世話役(オモアイ)が現れて正成の奮戦や後醍醐天皇への忠誠を語り、この湊川で華々しく討死したことを聞く。佐々木某は主君光圀の命によって、「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑を作り、正成を顕彰する。(ワキツレ・アイ中入)
 時は移り、王政復古し明治の御代となり、湊川に勅使(後ワキツレ)が遣わされ、楠木正成は神として祭られる。(アドアイ勅使の従者による触レあり)
 その報告祭の夜、武装凛々しい正成の霊(後シテ)が現れて、後醍醐天皇のお召しに随って天下に義の兵を起こしたが、この地にて数十倍の敵によって討死したことを語る。
 しかし、正成は今思いもよらず神と祀られたことを喜び(物著にて神の出立となる)、万代まで良き御代であれと舞い寿ぐのだった。
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 ワキが「水戸黄門」で、その供ワキツレが2人なのは、ドラマの『水戸黄門』において、お供の「助さん」「格さん」を意識しているからこそです。本文ではこの二人が「助さん」「格さん」であるとは明確ではありませんが、付録の間狂言詞章に、ワキツレの一人が「これは常陸の水戸家の家臣、佐々木の某と申す者にて候」とあるので、彼がいわゆる「助さん」こと「佐々木助三郎」であることが分かります。となると、もう一人が「格さん」こと「渥美格之進」と想像できる形となります。

 もちろん、新作能〈菊水〉の主題において、これが重要なポイントではないのですが、前場の最初にワキ「水戸黄門」からドラマの『水戸黄門』を想像してさせておいて、間狂言の段においてワキツレが初めて「佐々木の某」と名乗ることで、一種の観客サービスになっているのだと思います。

 佐々木助三郎も渥美格之進もあくまで創作の『水戸黄門』の登場人物で、モデルになった人物はいますが、微妙に名前が異なっています。佐々十竹(通称・介三郎)と安積澹泊(通称・覚兵衛)。さらに史実の光圀は世子時代の鎌倉遊歴と藩主時代の江戸と国元の往復や領内巡検をしている程度で、漫遊したという史実はないので、「水戸黄門が旅をする」「供の名前が佐々木」というところから、この能におけるワキの造形は史実からではなく、創作の『水戸黄門』から取ったことが分かるのです。

 なお〈菊水〉制作の経緯は謡本によると、「大楠公六百五十年祭に際し、湊川神社並びに奉賛会の要望により、観世宗家に対し、御祭神の湊川殉節を能に作り、御神前に上奏致度との要望有り。宗家は神戸観世会に一切を委任され、神戸観世会はこれを謹作せり」とあります。

 特殊演出としては後シテの前半は黒頭に三ツ鍬形を付けた兜に、法被肩上ゲ半切・太刀で現れて修羅能の形式で進みますが、討死の語りのあと、物著して法被の肩を下し、兜を輪冠(菊と桜の花をつける)に替えて太刀を外して神扇を持ち、神と変化して〈養老〉に似た舞を舞います。なお養老の瀧は菊水と関連があるそうで、全くのこじつけでもないようです。

 私は〈菊水〉を2003年に能(前シテ:藤井完治師、後シテ:上田貴弘師)で、2006年に舞囃子(吉井基晴師)で拝見しています。どちらも湊川神社神能殿にて催された「楠公祭奉祝能楽鑑賞会」でした。善竹忠亮師のブログによると、湊川神社神能殿閉館直前の2008年にも上演されたそうです(http://blog.zenchiku.com/?eid=819292)が、湊川神社の能舞台が休館した今、もう再演されることはあるのでしょうか。

 新作能には作られたものの、再演の機会がないものが多いのですが、この〈菊水〉は神戸観世会が制作して、観世宗家も関わった関係からか謡本が出版され、また制作依頼元の湊川神社が能舞台を持っていたので、昭和60年制作のものであるにも関わらず、平成10年過ぎから能を見始めた私も実演を見ることができています。かなり幸運な新作能といえると思います。

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